こんにちは、自己評価が低いがゆえに、競争率の低い相手(モテない人)を好きになりがちなおかめ微々ちゃんです。

魅力的な人間というのは、男女問わず多くの人を惹きつける不思議な力を持っている。
そういう人の周りには、恋心を寄せる人間が常に一定数いるもの。
そんな恋愛戦争に勝って見事意中の相手を仕留めるには、どうしたらいいのか?

できれば誰かと同じ人を好きになりたくはない……でも好きになってしまったからには絶対譲りたくない。
そんな気持ちを抱えて片思いに奮闘する全ての男女に、この記事では大人気漫画「花より男子」から学ぶ恋愛戦略を解説していこうと思う。

道明寺司と花沢類の違い

まず恋のライバルを倒すために、F4の中でも道明寺司と花沢類が人気を二分している理由をわかってもらいたい。
ということで、私なりに彼らの決定的な違いをまとめてみた。

(1)動物に例えたときの違い

道明寺司はなんといってもっぽい。
どう見てもつくしへの愛情がダダ漏れで、つくしを前にしたときの司には尻尾すら見える。
つくしが傷つけられそうなときは、まるで犬が飼い主を守るかのごとく真っ向から噛み付いていき、雨の恵比寿でつくしを待つ姿は飼い主の帰宅を待つ子犬そのものだった。

そもそも喜怒哀楽がめちゃくちゃ顔に出るし、ポーカーフェイスが通用しないところも犬っぽい。
いつでも100%の愛情をぶつけてきて重いくらいに全力で向き合ってくれる彼は、ときに「もー!鬱陶しいなー!」と思うことはあっても、いなくなると寂しい。
一人になったとき、不器用だけどまっすぐで大きな愛情にいつも癒やされていたことを実感する。

一方で花沢類は完全に
どこで何をしているかわからないし、ふらっとどこかへ行ってしまう。
本当に私のことが好きなのかすら信じられないけれど、他の女には見せないような一面を私にだけは見せてくれるし、なつかれていることだけはわかる。

そんなイメージだ。

もし類がLINEをしていたら、間違いなく未読無視の達人だろう。
たまに気まぐれに30秒くらいで返信をしてきて舞い上がっていたのも束の間、その後まだ数十時間ほど既読がつかなくなるのが想像できる。
気まぐれにすり寄ってきて、いたずらに心をかき乱していくキャラは猫そのものである。

しかしつくしがピンチのときは全力で助けてくれるという人情深い一面もあり、つかみどころのない彼なりに好きな人のことは大切にしているようだ。

(2)強引さの違い

道明寺司の強引さは身体的だ。
例えば「こっち来いよ」と言いながらグイッと引っ張ってくるような、物理的に逆らえない強引さを持っている。

一方で、花沢類の強引さは精神的だ。
「おいで」と目を見つめられただけで、気づいたら吸い込まれるようにこちらから駆け寄ってしまう、意思が支配されるような強引さだ。

(3)守り方の違い

道明寺司はどう見ても「俺についてこいタイプ」だ。
俺がいれば何があっても大丈夫、安心してついてこい!引っ張ってやる!という意思でつくしを守ろうとする。

一方で、花沢類は「後ろから支えるタイプ」だ。
俺が後ろからちゃんと支えるから、安心して前に進んでいいよというバックアップ方式の守り方をする。

同じキャラは2人もいらない

このことから何が言いたいかというと、「同じキャラは2人もいらない」ということだ。
よく憧れの人の真似をしたり、同じようなキャラや外見を目指したりする人がいる。
しかし、花男に置き換えて考えてみてほしい。

最初は類に惹かれていた牧野つくしだが、司のまっすぐな愛情表現に徐々に心が動かされていく。
もしも司が「牧野は類に気があるんだ、なら俺も類みたいになろう」と考えて、花沢類をやたら真似して同じようなキャラを目指してきたらどうだろうか。
そんなの花沢類の二番煎じにしかならない。

あのキャラはオリジナルだからこそ価値がある。

司が類とは正反対だったから、つくしの中に「司か類か」という選択肢ができた。
だから恋のライバルがいるなら、まずはその相手をよく知る必要がある。
相手を知った上で、全く別のキャラになるのだ。

もしもそのライバルに敵わないと思ったら、真似をしたり近付こうとしたりすることは無意味だ。
同じ路線で相手の方が上なら、こちらがいくら頑張っても追い越せない。
だから別のベクトルでライバルと同レベルに行くしかないのだ。

だからこそライバルと正反対であればあるほど良いが、素の自分が消えるほど取り繕うと逆に好きな人との関係性に支障が出るのでおすすめできない。
大切なのはあくまで素の自分をベースとしてキャラを確立させ、どんなにライバルが眩しくても真似をしないこと。
自分は自分で、別方向を極めるのだ。

例えば相手がぶりっこならこちらはナチュラルに、相手がおっとりならこちらは天真爛漫に、相手が泣き虫ならこちらは強がりに。
もちろん恋愛で大事なのはキャラどうこうではない。
キャラがどうだから好きだの嫌いだの、そんな表面的な問題でないことは百も承知だ。

しかしライバルと似たような攻め方をするよりは、別の方向性で立ち向かった方がほんの少し勝率は上がる。
道明寺司と花沢類を見ていて、いつも私が思うことだ。
彼らはキャラが”異なる”のではなく、真逆だ。
むしろかぶっているところを探す方が難しい。

愛情があるという部分が共通していても、それを表現する方法が「犬と猫、身体的強引と精神的強引、先導と後従」というように全くの逆だ。
だからこそどっち派かという議題が生まれる。
白と黒が比べられても、白と茶色は比較されない。

洋食と和食は比べられても、洋食と中華は比べられない。
暑さと寒さは比べられても、暑さと暖かさは比べられない。
比較対象となるのは必ず、似た側面を持たない対照的な2つだ。

人間に置き換えると、これがキャラ(=個性)となる。


ちなみに私はどっち派か聞かれても、どちらも別ベクトルでいいところがありすぎて選べない。
これほどまでに選択に困難をきたす二択は他にない。
どっちと付き合っても絶対に楽しい。

花より男子自体が道明寺司を主人公として描いているため、漫画の世界では司とつくしが結ばれる結末になっている。
しかし現実世界ならどうだ。
類が本気を出せばつくしが司と結ばれる運命を変えられたかもしれない。
もちろん、最後の最後はちょっとしたきっかけが相手の決断につながるため、こればかりはどうしようもない。

私たちにできるのは、個性と思いやりを持って相手と向き合うところまでだ。
ライバルと正反対のキャラで攻めることができれば、譲れない恋の勝率はほんの少し上がるかもしれない。

●ライター/おかめ微々ちゃん(微女ツイッタラー)